今日は火山へ行く。
火の神、ペレ。
彼女にまつわる神話は多い。
神話とは、「神」ではないものが神を求めて語り継ぐもの。
崇めること、憧れること。
それらは皆、
そのものとの間に境界線を引くことである。
言い換えれば、
それは、対象と自分と切り離せてこそ出来る技。
人間は昔から、
この技を駆使してたくさんのものを崇めてきた。
自然もそう。
美しく貴重な世界中の天然記念物は、
なんでも「この地球の大切な財産」に仕立て上げる。
そして、どんどん人間から遠ざけようとする。
でも。
それらを貴重は存在にしてしまったのは、
他でもない、
この地球人たちの勝手な行いである。
壊しては、囲い込む。
景観にそぐわない看板を立て、
ここは特別ですよと宣言する。
俗に言う、パワースポットもそうだ。
人はみな、
それぞれ生まれる前から自分自身の神である。
この世のパワースポットは、
そのパワーを忘れてる人たちが行く場所だ。
そうやって、
神として生まれたものたちは神ではなくなっていく。
神である自分自身を忘れていく。
自分のパワースポットは、
自分自身が決めればいい。
そして、自分自身がなればいいのだ。
看板一つで、人は踊らされる。
観光スポットに行けば、
いくらでも目にすることができる。
観光地化は、
目に見えるその姿かたちを壊すだけではなく、
人と、そのものの中にある本質とさえも切り離そうとする。
ペレの姿も、ハワイイ中に溢れている。
女神として描かれる彼女の姿は様々だが、
みな魅了的だ。
皆、ペレを利用している。
広告のポスターにまでも使われている始末だ。
だけど、広告の中で微笑む彼女は、
いろんな思惑も全部受け入れて余裕で笑っているように私には見える。
同時に。
復興支援の一環として、
被災地へ観光に行こう!と誘う、日本の姿と思い出す。
それもやはり、囲い込みの立て看板だ。
災害を利用して金儲けをしようとする人たちが、
昨日もニュースになっていた。
特別なものに仕立て上げるから、
どんどん歯車が狂っていく。
自分の行きたい場所は、
自分で決めたらいい。
年に一度の長い休暇、
どこへ行きたいのか自分で決められないなら別だが。
一見親切に見えるようなこの国の広告に踊らされぬ、自分自身の価値観。
その只中に居ては、
それはなかなか見えて来ない。
考えなくても、工夫しなくても、
手に入る便利さ。
一見、便利な場所こそ危ないのだ。
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