神性にともなう責任を取るなら
この無辺際の大宇宙には、
いかなる病める、乃至、
不調和の細胞もありえない。
なぜなら、
そのようなものが一個だにあれば、
一切を滅茶々々にしてしまうからである。
そのときは一時、
渾沌となるであろう。
これは不調和な想念によって妨げられたときの
人間の有機体にもあてはまる。
『神(Godhead)
〔原義は(神の頭)-訳者註〕
というコトバが自然に生まれ出たのは、
この中央の統制からである。
人間一人々々の心臓の鼓動は、
小規模ではあるがこの
大宇宙の心臓脈動に相当する。
人間は全水源(譬喩-訳者註)を統制する
英智より出たものであり、
またその写しである。
彼は『根源』の共存者であり、
一切をかの大いなる水源池より抽(ひ)き出している。
恰も、大中心太陽が同じ源泉より抽き出しているが如くに。
しかも猶、人間の場合は、
中心太陽よりもその抽き出す度合いは大きい、
なぜなら、彼は源泉を支配している
大英智と一体であるからである。
人間一人々々は、
大いなる全宇宙群にくらべれば極微ではあるが、
それ自身よく組織された聖なる宇宙である。
しかし全人類を構成するものとしての人間が、
その神性を認めて神性に伴う責任を取るならば、
極微に見える彼が全宇宙に取って必要なのである。
なぜなら、人間は全宇宙群についての
神の全プラン以前に在り、
且つ同プラン全部を統制している
偉大なる英智に属するからである。
かくて、よしや全宇宙群が崩壊するとしても、
人間は光という放射から始まって
最も低い物質体に至るまでの、
水様態中のあらゆる放射物に遍満貫通している
原始の英智と完全に協力することにより、
全宇宙群を再建することも出来るのである。
よしんばこのような破局が起ころうとも、
人間は、破壊というが如きものの一切存在しない
原始の英智に復帰する力を有するのみならず、
実にその力そのものである。
破局の後、静穏が再び支配し調和が復活したとき、
人間自身がいつ原始英智に復帰し、
原始の完全さを現出すべく
宇宙生成の全過程を再び進行させるのに
幾兆年もの年月がかかるのは、
もはや彼の問題とするところではない。
ここにおいては、
人は無限者と一体のままでいて、
宇宙群の誕生に時の熟するのを
泰然として待つのである。
やがて時来れば、
創造神がより完全にしてより
永続する状態を造り成すに当たり、
前の経験をその意識の中に保持するが故に、
彼は創造神のよき助け手、
以前にもまさるよき助け手となる。
その際、彼は如何なる形あるものにもまさって
明確なるが故に、
彼は決して失敗することは出来ない。
彼の意識には、
失敗なる文字は記されていないのである。
最微少なるもの(人間)が、
全有形体中の無限なるものとなる。
賢者が、『吾は不死、不老、久遠なり』
『生命及び光の中の一物として吾ならざるはなし』
と言ったが、
その時の賢者は、この未来を眺望しているのである。
これこそがまことの神性である。
昇天こそ、まことに彼人間のものである」
(ヒマラヤ聖者の生活と探求より)
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