あなた方は自分を発見するのではなく、
自分を新たに創造していく。
だから、自分が何者であるかを
知ろうとするのは、
もうおやめなさい。
そうではなく、
何者になりたいかを考え、
そうなろうと決意して努力しなさい。
人生は学校ですか?
いや
何かを学ぶために生きているのですか?
違う。
それでは、何のためにこの世に生きているのですか?
自分が何者であるかを思い出すため、そして創り直すためだ。
私は、何度も繰り返して語ってきた。だが、あなた方は信じなかった。それはそれでいい。あなた方が真の自分になぞらえて自分自身を創りださなければ、真の自分にはなれないのだから。
ちょっと待て下さい、わからなくなりました。人生は学校かというところまで戻りましょう。大勢の教師に、人生は学校だと聞かされてきました。それを否定されたのですから、正直に言うとショックです。
学校とは、知らないことを教わりたいと思う時、行くところ。
すでに知っていて、その知識を体験したいという時に行くところではない。
あなた方のいう、人生とは、概念として知っているところを体験的に知る機会だ。
何も学ぶ必要はない。
すでに知っているところを思い出し、それに基づいて行動すればいい。
よくわからないのですが。
それでは、初めから説明しよう。
魂、あなた方の魂は、知る必要のあることはすべて知っている。
隠されていることは何もないし、
知らされていないこともない。
だが、知っているだけは、
十分ではない。
魂は体験したがっている。
自分が寛大であること知っていても、
寛大さを示す何かをしなければ、
概念に過ぎない。
親切であることを知っていても、
だれかに親切にしなければ、
自意識があるだけだ。
自己についての偉大な概念を
偉大な体験に変えたい。
それが魂の唯一の望みだ。
概念が体験にならない限り、
推測にすぎない。
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