完全無欠の絶対世界は別として、
それ以外では対局の存在なしには何も存在しえない。
絶対の領域だけでは、
あなた方も、私も満足できなかった。
私は常にそこに存在していたし、
あなた方もその世界からやって来たのだ。
絶対の中では知識があるだけで、
体験はない。
知っているというのは新鮮な状態だが、
最大の喜びは、
何ものかで「在る」ということの中にある。
「在る」ことは、
体験してのちに初めて達成される。
「知る」こと、
「体験する」こと、
何ものかで「在る」ことの順に発達し、進化する。
これが聖なる三位一体、
神の三位一体である。
父なる神とは、「知る」ことだ。
すべての理解の親であり、
すべての体験はそこから生まれる。
知らないことは体験できない。
息子である神は「体験」だ。
父が自らについて知っていることを
体現し行動化する。
体験しなければ、
何者かで「在る」ことはできない。
聖霊としての神は
「在る」ことだ。
息子が体験したすべてを超越して、
ただ存在する。
単純に、
この上なく見事に「在る」ということは、
知ったこと、
体験したことの
記憶を通じてのみ可能になる。
単純に「在る」ということは至福である。
神の状態、
自らを知り、
体験した後の状態だ。
これこそ、神が初めから求めていたものである。
(神との対話より)
あらゆる形の思考あらゆる態度をあらゆる感情を完全に理解するという、
その欲求を満たすことができるように、
あなたの魂は体験から体験へ
冒険から冒険やとあなたを駆り立ててきた。
あなたが思考のすべてを知り、
理解できるようにするためだ。
思考のすべてとは、
神のすべて、
自己のすべてのことである。
あなたの魂は、
まだ体験していないものを渇望する。
あなたの魂が、
ある体験を渇望しているとき、
それは、あなたの魂が
その体験からの感情的なデータを
必要していることを意味している。
それ故、あなたの魂は
「要求」と呼ばれるフィーリングを作り出し、
それがあなたの存在のすべてをとらえ、
冒険つまり体験へとあなたを駆り立てるのだ。
そして、その体験が終わり
そこからの感情が収まるとき。
その体験は、
あなたの天界にあるすべての
黄金よりも
素晴らしい宝物をあなたにもたらしたことになるのだ。
その体験は、
あなたをさらなる英知の中へと
進めたのである。
その体験が英知になったということは、
あなたの魂が、
「もうこれは2度と体験する必要は無い」
と言っていることを意味している。
なぜなら、
あなたはそこから得られる
理解をすべて得たからだ。
それからあなたの魂は
今度は別のことを渇望し、
あなたは何か他のことをするように駆り立てるられる。
なぜなら、
あなたはそれをする必要があり
それをしたいからだ。
あなたの内なる本能が、
生きることのすべてを
体験するようにあなたを
強く促してくるからである。
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