あなたは雲の向こうの青い空を見ているだが何も起こらない。
するとあなたはきっと言う、「シバァの言い方は、非合理的、非論理的だ。単に、心に浮かんだまま話しているだけだ。一体どういう技法だろう、雲の向こうの青い空にただ見ることによって、静寂が…人が静寂になるんだって!
だがもし「死、意味、学習」を思い出したら、
この技法はたちまちあなたを内側へと向けるだろう。
雲の向こうの青い空にただ見る。
ただ見る。
考えるのではない。
空は無限だ終わりがない。
ただそれで見る。
そこには対象がない、
だからこそ空が選ばれたのだ。
それは対象ではない。
言語学的に言えば対象だが、
実存的に言えば対象ではない。
対象には元と終わりがある。
対象ならその周囲をめぐることもできる。
だから空の周りは回れない。
あなたは空の中にいるのであって、
空の周りは巡ることができない。
だからあなたは空にとって
対象であるかもしれないが、
空はあなたの対象ではない。
空に見入ることはできるが、
空を見ることはできない。
そして「空に見入ること」は
どこまでも続く、
決して終わりがない。
だから青い空に見入るのだ。
どこまでも見入る。
(バグアン)