ウツシとは
ヒからヒキしたヒヒキを伝えること。
何だか暗号のように聞こえるこの言葉だが、すべての物事は形なきもの(潜象界)からはじまり、形あるもの(現象界)へと姿を現している。精神世界では、当たり前のように言われる理論だが、私たちはそれをどれくらい理解し、使いこなせているだろうか?
私も頭ではわかっているが、実際は現実で起こっていることに反応し、振り回されて、本当の望みを現実化するという、いわゆる引き寄せの法則とも呼ばれる現実創造はできていない。
小さなことは出来ても、大きなこととなると「自分には無理」と、ついこんな言葉が口をついて出てしまうが私に、次の階段を上る時が来ていた。
すべての創造の根源にあるのが「ヒ」である。
それが示すのは、炎、霊、太陽、源…どれもヒの音、意味を持つものだ
では、それをヒキするとは?
引き、弾き…ヒの要素をヒキ出し、
ヒヒキ…根源のヒと、私のヒがヒキ合い、ヒヒキ(響き、引き合い…)合うこと。
そんなふうに7人の主の特性をウツスワークで自分の中の「ヒ」を意識するようになり、「ヒ」の足りなさを感じていた。そんな時、「ヒ」が足りないので、「アメンティのピラミッドの”王の間”に入れ」と八の主に言われたのだ。
アメンティには12のピラミッドの部屋があり、それぞれの間には名前とその扉を開くための鍵がある。(正式にはもっとあるのだか…)すでに、前の講座で部屋の名前と鍵は手に入れていた。
その王の間の鍵は「絶対主」であった。
扉を開けるとそこには玉座があったが、誰も座っていなかった。「あなたが座らないとこのピラミッドは機能しない」と主に言われので、私は恐る恐る玉座に座った。玉座そのものが王のエネルギーであり、私の水晶球が拡大し上へ上へと開いていき、ピラミッドの中にあった玉座は頂点を突き破り、いつのまにか広大な宇宙の中に出ていた。
玉座に座っているのはただ水晶球で、
そして周りを7人の主が取り囲んでいた。
松果体、生命の華、丹田が私の内で宇宙とつながり
私の中に空間があり、
宇宙があり、
私の中に「絶対主」が在った。
そのことで、肉体意識の私と、絶対主である私の違いがはっきりとした。
ここは、「わたくしごときが座る場所ではない」「ハハーっ」。と主の偉大さにひれ伏していた。と、同時に主が玉座に座り、肉体意識の私は下に弾かれてペシャンコになり、肉体意識がだんだん小さくなって行くと同時に、
明け渡すということ。
それでないと、「ヒ」のエネルギーは出てこない。
「ヒ」のウツシは「ちっぽけな肉体意識の私では限界だ」ということを悟らせてくれたこのことで位置エネルギーの違いをを知った。
自分の人生を生きるには「絶対主」の位置に座る必要があるのだ。
これまで、いろいろと精神世界のことを学び、講座やセミナーに通い、自分自身と向き合ってきたが、ずっと行ったり来たりしているように思い、どこか行き詰りを感じていた。近くなったように感じても、依然、神は私の外にあり、距離感を感じていた。
この距離感、分離感をなくしたい、一時的な体験ではなく、確実なものとして一体感…ワンネスを感じられるときが来るのだろうか…。そこには諦めのようなものがあり、その1点こそが魂が究極に求める望みでもあったのだ。
そしてこれまでの学びで人生は良くなっていったが、魂は深く満たされず、生きることへの真の情熱は出てこないでいた。
講座のウツシのワークとして、ヒヒキアイをしていたが、炎の主である四の主の「ヒ」とヒヒキあえずにいた。肉体意識の私では「ヒ」が小さく、四の主の「ヒ」をウツセない。四の主の「ヒ」はこんなものではない。そこに行き詰まりを感じていた。
「ヒ」をウツしているのに、私自身に肝心の「ヒ」がないのだから、できない。「このヒがないと、創造も何もはじまらないのだ」ということはわかるが熱い「ヒ」が湧き上がってこないのだから…。
それゆえに熱い「ヒ」を持って生きることを渇望していた。
ヒの情熱—-そのヒは魂、源のエネルギーそのもの、それが感じられることが何よりもの生きる喜びなのだ。
「なぜ、そこにとどまっているのか」
「さっさとやればいいのに」
やれない自分をどこかで責めてもいたが、
熱くなれないことをやることほど辛いことはないのだ。
そんな苦しんでいる私に八の主が差し伸べてくれたのが「玉座に座る」という体験だった。それは、自分自身への尊厳と愛、そして力を取り戻し、「私は源から生まれた存在であり、私と源はつながっている」という真実に、同意することであった。
玉座での体験をしてから、それが一時的な出来事で終わらないように、日常の中で玉座を意識した。例えば、車の運転をするとき、仕事でイスに座るときなどに「ここは玉座」と思い、アメンティで体験した玉座の波動、エネルギーを沁み込ませていった。
私自身を明け渡す時間が増えた。少しずつ玉座の「ヒ」が現れてきた。主とのヒヒキアイが強くなった。そして、ハートに「ヒ」が起こった!水晶球にあった玉座がハートに降りてきた。
自分のハートセンターに、偉大な主がいる。それが本当の私である。
「何をしているんだろう、小さな私が…。主がちゃんと玉座に座り、自分自身の人生を統制していれば、不安や恐れもなく人生はもっと違うものになっていくのだ」。それがわかり、小さな私は、より偉大な自分自である主に、自らの統制を明け渡すことで、安心を手に入れたのだった。
玉座に座りなさい
主のウツシをするようになってから
現実でも色んな問題が整理されていった。
特に仕事では問題を抱え、毎日夜遅くまで打ち合わせを重ねてきたことが解決し、提案していた新しいプロジェクトがスタートすることとなった。そして、体制もスタッフも一新し、私がそのプロジェクトを中心でまとめるマネージャーとなった。
玉座の波動の自分が中心にいることで、周りの問題にも巻き込まれなくなったり、物事の核心が見えるようになり、私にとって大事ではないことに、時間を使いたくないと思うようになった。源とつながることで、自分の枠がどんどん拡大されていく。
自分を愛し、自分を大切に思う、何よりも自分でいることが楽しく、それが外にもあふれているのか、嬉しいことに友人や知人に会うたびに「若返った」「活き活きしてる」「何かいいことあった?」と言われる。その度にひとりでニヤニヤし、また嬉しくて楽しくなってくる。