自我の作り上げた
観念、概念世界に縛られている間は
本に書かれている扉は開かない。
そのままでも
書物は読むことはできても
靈と音がともに結ばれ共同作業をする
帰ってくるコトバとはなりえない。
帰ってくることば
それは本の中の一文章でしかない
なぜなら
それは本の一文章として「うる」
それは本の一文章として「おる」
それは本の一文章として「ある」
それは本の一文章として「える」
状態だから
書物の世界で終わる。
だが心配はいらない。
自分が仕掛けたプログラムに気付き
扉が開くサイクルが必ずやってくる。