私の脳と骨は、水晶でできている!と気づく

自分自身が宇宙の源から生まれた存在であり、真実の私自身をもっと知りたい。そして、この地球上で喜びにあふれ、望む通りの人生を生きていきたい。それはずっと私の胸の内にあった思いだが、そこに辿りつけずにぐるぐると廻り続けているた。

そんな思いの中、私は松果体活性化のワークに取り組むことになった。

その中でたくさんの体験をし、その真実に徐々に近づいていた感はあった。

松果体=水晶球は輝きを増し、大きくなり、

「私の脳と骨は、水晶でできている!」と、気づいたことで

体は水晶の波動をウツスようになっていた。

それを名付けて「水晶ボディ」と呼んでいた。

ある日「水晶ボディ」のウツシをしているとき、だんだんとハートセンターからのヒヒキが強くなっていった。そこには、何者かがいて引っ張っているように、そのヒキアイは強くなっていく。

内側の1点から引っ張られ、胸の奥へ奥へと入っていった。そこには渦の中心があり、さらに引っ張られ、そのまた奥へ奥へと入っていった。

すると、小さな中心点がくるっとひっくり返り、トーラスのように内側からムが広がっていった。

信じられないかもしれませんが、
なんとそこには巨大な「メ」があった。
宇宙の潮の中心に。 あたかもその渦を起こしているかのように。


さらに、驚くことに

その「メ」は私をずっと見ている。

『こんなところに、こんな巨大な目が合ったのか!!』

それは、まったく予想もしていない世界。 

それが自分の内側から起こった。

自分の内に
こんなチカラがあったのか

そして周りを取り囲む広大無辺な「ム」と「メ」がヒヒキあっている。

それそれが何日も続いた。

また、ある時から「ム」のウズにあった大きな「メ」は、だんだんと小さくなり、胸の奥に焦点化していく。いつの間にか、「メ」は2つになっていた。

「ム」にある大きな「メ」と、胸の奥の極微な「メ」。

この2つは、2つで1つ。

「ム」は広大無辺だからこそ、
一分の隙もなくピンポイントで焦点化する極微なメが必要なのだと知った。

驚くことは次々と起こっていく。

また、最初に発出した「メ」は、水晶球にもウツリ、生命の華にも朧気ながら「メ」見えてきた。さらに3点をつなぐように、中心のゆるぎない柱が立ち、その中からエネルギーがジワリと出でくるようになった。

そして、私の中で一つの真実が明確になっていった。

広大無辺な宇宙は私の中にあり、すべてを持っている。

自らの素晴らしさ、持っているものを体験するために

焦点化する小さな「メ」の私が生まれた。

どちらにとってもかけがえのないもの。お互いで一つ。分かつことのできない大切なものなのであり、人間としての、私が宇宙にとってとても大切なものなのだ。

「見る」ものと「見られる」もの。
どちらもが、その関係にある。
そして、その2つの視点は私自身である。

この二つの視点を体験してから

足の裏のウツシを集中的に3日間仲間の映理子さんとやって、ウツシがより明確になっていっていき、形なきものの世界(あちら)と、形ある世界(こちら)が合わせ鏡のようにあるように見えることを体験していった。

近頃、形なき者の世界がリアルに感じることさえある。

その結果として、

2つの視点が生まれてきていたのかもしれない。

形なきものの世界から、形あるものの世界へ、波動を伝えるワークをしていたことで、「ム」の視点がよりに鮮明になりつつあり、ますますつながりが深く出てきたが、ウツシをすればするほど、新しい体験、発見があり面白くなっていた。何が出てくるのか予想もつかないのが、また面白い。

水晶球のウツシをしていたのに、ハートから「メ」が出できたので「ひょうたんから駒」のような気持ち。

それは驚くことの連続であった。

私の中で、現実という概念が 塗り替えられていった。

私はあなたが何者であるのかを知っている。
私はあなたが何を夢見ているのか知っている。
すべて知られている。

なぜなら、それは私自身だから
その存在はだんだんと私の中でリアルになり、もう夢にまで「メ」が出てくるようになった。

「もう見んといて~」と、その「メ」から逃げようとする私がいた。

しかし「メ」はいつもいつも私の内にある。

いつも、私の内にそれがある。

それがどういうことか…

源である自分自身への愛に満たされ、溢れてくるのだ。

そこからまた、

「すべてを知っているものが、自分自身の素晴らしさを知りたいという愛ってどんな気分なんだろう」と思いめぐらした。

その行為から、「メ」から私の内にあったものが一つひとつが大事に取り出されていく。アラワにされ、発見され、それを体験する喜びを知った。

自分自身を体験することほど素晴らしいことはない。

これまでの私と違ったのは、

「メ」から離れなかったこと。
というよりも「メ」が離さなかった。


その理由は、「私自身を愛しているから」その愛ゆえに分かつことは不可能であった。つまり、私の体の中心に「メ」の中心点があり、その波動がある。その波動が「メ」 がここにあることを示す確かな理由だった。

そのことで私の体の内に、確かな存在、位置が生まれていた。そして、私は創造の神秘を知った。

広大無辺な「メ」の中で、物事を焦点化する極微な「メ」がヒキアウことで、

創造が生まれる。それこそが宇宙の喜び。宇宙はこうして拡大している。

いうなれば、
極微な「メ」のイル(射る、入る、居る、要る…)視点が私だったのだ。

それは源が自らの愛ゆえに生みだしたものであり、呼吸するように、ヒキアイ

2つで1つの動きなのだ。

そのことが明確になると、さらにㇺと地(私)を貫く縦の柱、空間の広がりつなぐ横の柱、方向性をつなぐ前後の3本の座標軸が体の中アラワれてきた。

その結果、
日常の中での出来事が、さらに早く結果が起きるようになり、とてもシンプルになった。驚くべき早さで、人やモノがつながり展開していく。

私のやるべきことは
「見る」こと「望むこと」。

そのことに同意し、許可をすればするほど、
宇宙はプレゼントを持ってやってきてくれる。

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