ことば
イエスとノーは
あなたに関わるもので
先天に関わるものではなく
そのコトバを使った
人に関わりがあります
「私は君にギーターを説いて、
多くの霊的な助言を与えた。
ところが、君は何も覚えていない。
それがなぜだかわかるか?
それは君が私の教えを重要なものと考えていないからだ。
君は私の教えに無関心で、
だから私が説いたことを全部忘れてしまったのだ。
重要だと思っていたら、
私の教えをすべて覚えていたはずだ。
君は、君と私が多くの生でいっしょだったことも忘れている」
欲望は増えているが
理想は減っている。
心狭いところは増えているが
寛大なところは減少している。
利己主義は蔓延り増え続け
霊性は衰退している。
私たちは口を閉じて
心を開かなくてはなりません。
そして初めて、
あなたは至福の境地を
楽しむこととなるでしょう。
聖典を学ぶ事は宝石です。
宝石は外側の美を与えますが、
内側の美は与えません。
内なる至福の境地は
愛の道を通して
初めて得られるのです。
その行き着く先は、
「理解」してもらうこと?
「行動」してもらうこと?
創造者は無辺の宇宙に
自分の意識を立ち挙た。
それは、どこに立てようと
いかに協調性に欠けたものであろうと
それは己の意識の中心点となった。
それは欲望の始まりみたいだ
驚くことに
自己中心の欲望が持続し
その存在が自己に意識され始めると
自己と他者に分かれはじめ
自己認識が初まった。
足が滑ると
骨折してしまう。
しかし、
あなたの舌が滑ると!
舌には細心の注意を払って
御使用ください。
やさしく優しく
語るほど、
話すことが少なくなります。
態度の有り様を磨くとは、
起きた結果に
意識が注がれることではなく
その結果が出るまでに
自分の内側で起きている
その工程ことを観察する事。
それは、自分自身の内側で
そのとき何が起きているかを感じること
すなわち知覚することから
始まる。