私には強固な癖があった。
それは、自分がいつも「人より劣っている」という癖。
大好きなテニスをしていて、やっと入ったレギュラーの座。全国大会へ向けて大きな大会に進むほどに現れる強いチームにビビってしまい、
「私には無理だ。太刀打ちできない」と勝手に決めて、可能性を自ら捨てた学生時代。
夢を叶えてカメラマンをしていても、自己価値を上げようと仕事をキャパ以上に入れて、常にプレッシャーの中にいた仕事人間時代。好きなことをしているはずなのに、ふいにその癖がやって来たと思ったらすっかりそれにハマる…
そんな自分に疲れ始めていた時、なぜかスピリチュアル系雑誌の撮影が沢山入ってくるようになっていた。取材中にお試しセッションをしてもらえたりと、その世界を知るほどに、根深い癖がやめられるんじゃないかと可能性を見出し始めた。
そうしていろんなスピリチュアルや心理学の講座を広く浅く受け始めることに。その中でもまたいつもの慣れた癖はすぐに顔を出す。
自己価値を上げたくて受けていたはずなのに。
違う行動をしたところで変わらない、自分の生き方にもう嫌気がさした気持ちになっていた。
「もうこんなのやめたーーーーーい!」
自分を好きになりたい、本当に自由になりたい。
人を気にせずに自分だけの世界を生きたい、
自分を認められたら、自分を好きになれたらこんな癖はもうやめられるはず!
そんな中、以前カウンセリングでお世話になっていた藤原良子さんから誘われて、我喜屋共子さんのディクシャというエネルギーワークに出会い、そこで「宇宙を生み出した根源」の存在を知った。
それまでの私は宇宙が全てだと思っていて、宇宙を生み出した存在について考えたこともなかったので、この「宇宙を生み出した根源を生きる」その生き方に憧れるようになり、彼女の口から何度も出て来る「目覚める」という言葉に特に惹かれていった。
時間が経つに連れ、松果体の存在が私の中でますます大きくなっていったそのタイミングで、なんとあの何年も会ってない我喜屋さんが松果体活性講座をされているのを知った。
この講座を受ければ、胸に秘めていた望み、目覚めるってどういうことなのかを知れるんじゃないか、本当の自分を知れるんじゃないか、きっとそこには想像もつかないくらいの自由が待っているに違いないとワクワクしていた。
それと同時に、ずっと心の奥深くで必要としていた、自分を心の底から好きになること、比較の世界から抜け出して自分の世界を生きること、この講座で一気にそれが変わる気がしてきた。
講座当日、友達が集まったこともあり、講座中は爆笑の渦。
講座の内容は松果体コードを使って忘れ去られた根源の叡智を思い出すことであり、「宇宙を生み出した秩序」が入っていた。
中心はまさかの数字!!!
今までのスピ系講座とは全く違う。
そして、なんとここで驚くことが!
叡智を思い出すために必要なことが「喜び」であると。
「ええええーーーーーー????? 」
(叡智のイメージが、瞑想や修行で行き着くような、どちらかと言うと静かなものだったので)
『喜びに溢れることが神が人間に望む、たったひとつの望みであり、ただ1つの運命である』
私の今までの人生でこんなこと、一度として感じたことなどなかった。
神が私に喜びを望んでいる⁈
喜びの21の法則を知り、即実行したことで、
当たり前の毎日が、イキイキとした新鮮で色鮮やかなものへと見る見る変わっていき
(今思えば光が射した状態になった)
私は私の喜びに夢中になり、
いつの間にか、誰よりも自分のことが好きになっていた。
そうすると友人に「毎日楽しそう」と言われることが増え、「いつも好きにしていて自由でいいよね」と言われることが多くなった。…環境は今までと何も変わっていないはずなのに。
何よりも驚いたことに、
毎日一緒にいる娘に「お母さんはいつも幸せよな〜」
と言われるようになった。
…今までもずっとそうであったかのように。
そして実は、私と夫は仲の悪さがネタになるくらいの夫婦だったのだが、嘘のように今では唯一無二の親友のように思っている。
「私を喜ばせることができるのは私だけなのだ」
「私を愛することができるのは私だけなのだ」
「いつだってこの瞬間それを選ぶだけなのだ」
それがわかり始めた。
そしてそれこそが「宇宙を生み出した根源」へと続く道になっていく。
松果体コードによって思い出されていく「宇宙を生み出した根源」の波動。その波動に染まるほどに、真実の私が明かされ続ける。
全ての豊かさが無限にある場所。
そこへの道しるべは、いつだってご機嫌モードの喜びなのだ。
神は私たちに喜びを押し付けている。
喜びが人間の運命であることを知るだけでいい。
自己への愛より偉大な愛はない。
松果体コードを知ることで私の人生は大きく変わり、今もその変化の真っ只中。
私という生命の彩りに夢中になり続けている。