永遠なる源である私は、
小さな切り取られたわたしを生み出した。
小さな切り取られた私には、
これまで何回も何回も生きてた全ての知恵、
そして未来に存在する私からのすべての知恵が注ぎ込まれている。
わたしは地球の上に座っている。
そして、そこからこの銀河系の宇宙を見渡す。
周りには惑星たちが軌道を描いて巡り、
星々が浮かんでいる。
その中心を見ると太陽が燃えている。
そして、わたしの中心にその太陽があると認識すると、
地球であった
わたしは太陽になっていた。
エメラルド・タブレットの
大深淵の炎だ。
ここにあらゆる想念、
思いが集まり
精錬されている。
炎で混ぜられ焼かれ
ただ炎となっていく。
炎の中心は、
純な光で輝いている。
いや、炎の中から光が生み出されている。
また、わたしは沈黙を見ている。
静かな暗闇がそこにある。
それを光が捉えていく。
光は慈しみ愛するように、
優しく暗闇を
取り込んでゆく。
光と闇の舞のように、
うねりが起こり
立ち上がってゆく。
光は急ぐでもなく、
ただ愛によって
喜びによって静寂(しじま)を取り込む。
やがてそれは薄白い形態を帯びてゆく。
光は愛によって
暗闇を取り込み形に変える。
それを見ている私がいる。
光でもない、暗闇でもない、
また両方でもあるとも言える私。
主の聖なる愛。
愛の炎で焼かれた意識は、
光を生み出す。
と同時に暗闇も存在している。
光を認識するために。
光のカラダは暗闇を捉えて拡大していく。
光は知恵であり、
愛であり、
イノチ。
その磁力によって動かされているイノチ。
全てが永遠の地点なら
それは見ることが出来ない。
切り取られた1点のイマがあり、
この視点があるから見ることができる。
しかし、
永遠の全体がないとそれは
見ることができない。
源よ、わたしは準備ができている。