ようやく松果体から始めたワーク
視床へたどり着きました。
これからが非常に楽しみです。
視床の頭部をセンターとして、
ハートの中心がつながり、
開いたときそれはスガタを現し始めた。
この中心核は空洞であり、
原初の光が存在する。
原初の光が空洞を生むだし、
内に拡大するための、
肉体の原点、
はじまりがあるところといってよい。
ここに人間の原型、
タマシイの場、
すべてが存在する。
ここでは人間という意識は朧気になり、
すべてと繋がっている。
人の総体であり、
雛型がここにある。
人間として、物質界の創造の大元といてもよい。
壮大な物語、雛型があるが
実は分解すれば、
それはただのエレメンツだ。
火、風、水、土
これらを組み合わせて
描かれ映される力が
物語にしたのであり、
雛型をつくった。
人が体験すべき要素の雛型をつくったのだ。
さて、火の要素とはなんだろうか?
文字通り熱だ、
深い欲求がありすべてがはじまり、
動きが生まれる。
これがないと何も生まれはしない。
水の要素とは何だろうか?
原子を集め、形づくる。
純粋に映しだし転写する。
同じものをコピーする。
それが人かたまりとなり
大きなうねりとなり質料となり
流れ、道をつくるものだ。
それができると、確実に流れていく。
土の要素とは何だろうか?
土はここに属さない。
ここのものではない.。
3つの要素が集まり土となる。
肉体に属するものだ。
この3つの要素が集まって、
感情となり
情が土をつくる。
コーザル体の元型、
種は土に植えられて成長する。
人間が生命の樹であるということはそういうこと。
時間、空間の経過とともに、
その元型にあった要素すべてを体験する。
創造の壮大な楽しみであり、
遊びであったが、ここにはまってしまった。
固定した体験、
感情が繰り返され、
それはさらに固まったしまい、
強固になってしまった。
源からの循環する生命エネルギーがないので、
それは完全に成長しない。
人間が病んでいるのはそのためだ。
あなたの青銅の体験もそうだ。
これがハートを覆いつくし、
現実を覆いつくし見えなくしてしまってい、
それは恐れの固まりとなっている。
どうすればそれを取り除けるだろうか?
では、
このコーザル体で何ができるだろうか?
常にはじまりに戻るのだ。
このコーザル体も
はじまりに戻る必要がある。
そうすれば、解放されイキイキとその役割を果たすことができる。
火、風、
愛に因る思考(描かれ映される力)、
それをウツシ、
コーザル体に引き寄せカタチにする。
ウツされたそれは、
まずあなたを潤し、流し、カタチにする。
肉体がそれを受け止める。
すでにある土を変えなくとも
それを流しこむのだ。
雛型をここで見、
すでに在るものを流し込めば良い。
それが愛だ。
それは内側から浸透する。
肉体=土から変えようとしなくても良い。
器が問題ではない。
それはただ器だ。
中身が問題なのだ。
あなたたちは中身を変えず、
器を変えようとする愚を犯す。
中から水を注ぎ込むことが、
ただ求められているのに。
それが変容するということ。
注ぎ込まれる物質、
液体が変わると、
器もかわる。
それは透けて見えている。
そのためにはコーザル体も、
ブッディ体等質性を帯びる必要がある。
コーザル体は、
ハートの中心核にあるが
それが目覚めると、
カラダを取り囲むようになる。
そこにエネルギーが注ぎこまれ、
質料を帯びてくる。
重なって在る。