源から
アメンティーホールの、
生命の花へ
意識が注がれてゆく。
ただ愛の表現であったイノチの
エネルギーは、
その繰り返しによって
密度を増し、ある意識、
意志を帯びだす。
それは一粒の種となり、
種が内側から膨み、
花が開花していく過程のように
ゆっくりスローモーションで形になっていく。
源から地上に降り注ぐ私は
循環し、その度に新たな意識、思いを伝える。
そうやって、私はつくられた。
魂の循環、輪廻も同じ。
時間は、物事のスピードを落とし
その創造の様を見れるという恩恵なのだ。
その中で
ゆっくりとしたこの流れの
1点だけを見ているうちに、
私はすっかり時間そのものになってしまった。
この循環を繰り返し、
成長していくが、
地上に降りるときの私は、
源を忘れ
地上の私だけを見ている。
全体を忘れ、
部分だけに目を向けて
それが世界だと、
自分だと信じ切っている。
ホアにいる時に全体を思い出すが
この地上では、
また、時間の流れの中の1点となる。
こうして、私は部分を体験し、
幾多の部分を知った。
そして、時間と一体となり延々と
その視点で輪廻を
繰り返している。
今、やっと、この流れを
魂はこの地上にいるあいだに見れるときにきた。
私が一つになってきた幾多の幻を
一つずつ脱ぎすて
パーツである部分を再び編み直す。
いや、それは、もう編まれていた。
私が部分しか見ていなかっただけ。
幾重にも重なった層があり、
上の層にいけば行くほど
全体の模様、図柄が見えてくる。
そして、世界が全く違った模様に見える。
いや、全く違っているのだ。
例えようもなく
緻密に秩序だって続く
複雑な幾何学の構造がある。
それは、うねり、回転し、
その中から、光によって、様々な模様が浮かび上がる。
ここに、この構造の中に無数の秩序だった模様、図形が含まれている。
この地上にあるものの色彩、
音、スガタカタチの荘厳さ。
圧倒されるほどの創造のエネルギー。
ここが神のフィールド。
この中に、人間はいる。
すべてを見、感じ、触れ、愛する存在として。
世界は、
人間は源の願い。
美を愛する源の、
限りなく愛されている存在なのだ。