アメンティーの主が包み込むようにして

コアの底の底へと

連れていってくれる。

 

主からどれほどまでに愛されているかを感じて、

主に対する恋慕のような感情が生まれる。

それはそのまま、私が私を愛している自己愛だ。

 

無は、無が自分自身を愛する愛で、

自分自身の創造物から愛される体験をしているのだ!

ということが感じられた。

 

死んだ状態になり底にアンカーすると、

存在のよろこび・在ることの喜びだけがあった。

私の存在は「視床」だけになった、

そして喜びだけになった時に発光しだした。

発光の喜びの力、

光の力だけで下から浮上していき、

真っ暗な中を上がっていった。

 

視床だけになった時に、

視床は磁石となり、

視床だけの喜びの波動になった時に、

「ア」の波動とひひきあいが起こった。

 

アウワの下の「ワ」の渦が、

上にある「あ」の渦と、

視床から発生する磁力によってひきつけられて、上に上がっていった。

 

分からどうこうしたわけではなく、

喜びの波動になって、

存在の喜びだけになってそれで溢れたときに、

ひひきあって勝手に上に上がっていった。

 

そこを生きる、

そこ(底)に自分が合う、

そこ(底・ソコ)にあり続ける・

在る。

 

何とアウワしているか、どこをみて どことひひきあっているか、それが「すべて」(術(スベ)・手(テ))を決める。

 

 

全部死んだ状態の時に、自分の本髄があった。

本髄しかない状態。

視床だけの存在。

あることの喜びだけの存在。

 

いかに死んだ状態になるか。

随(瑞・ズイ)だけになると、

全てそこにあって、

そこにあれば、

喜びだけになって、

推進力になって、

無理にひひきあうのではなくて、

上に上がっていく。

 

自我が過去が

死ぬことってすごい。

上に上がっていき、途中の闇とか見えない。

 

死んだ状態の時には、

在ることの喜びしかなく、

思考が望みだけになった。

「何作ろう?これ作ろう!」だけの世界になった。

 

明け渡して委ね切った自我の消滅「死んだ状態」から生まれるのは、

無と限りなくひひきあった、無が形を取った「こうぐち」という名前のついた、あり続ける存在。

 

常に死に続けている状態。

「死んだ」=「芯だ」であり「新(シン)だ」!

 

 

 

 

 

 

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最強の形なきものへのテーマ「アメンティー」

本当に自分は何者か!目覚めを求める方々やのためになる日本一のアメンティーをテーマにしたいと思っていますので、些細なことでも気が付いたのであればご報告いただけると幸いです。

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