「根源者」のところから、
「光になった」
創造もそうであるが、
すべては「体験」をすることで
行き先までの道を作り
自分を導いてきた。
体験がないと
先の目的地が設定できない。
体験があるがゆえに
「次はこうする!」
が設定できる。
変化の体験、
それがそのまま道になって行く。
根源者が体験を
次から次へとして行く中で、
根源者は
無色透明のままだが、
有目的想念が光の色を
変えていっている。
驚くことに
有目的想念が色づくのは、
根源者が
あり続けるものとして
無色透明のまま
背後に存在して
共同想像という法則で
成り立っているからだった。
表現することがイノチである。
コトバを出すことがイノチであり創造。
光を送り出せる秩序はことばにして、ことばより生命が来り、すべての存在が来るなり」次いで再び声を発していいたもう。「汝の内なる生命はことばなり。汝、汝の内なる生命を見いだすべし。しかしてことばを使わんための諸力をもつベし」
(エメラルド・タブレット)より