”われ、調和の旋律の全空に満てる美の一惑星の上に休みぬ。そこには、夜の星々の如く秩序正しく偉大にして、尊厳をもちて動ける形姿ありぬ。それらは調和、秩序ある均衡、宇宙の諸シンボル、法則に似たるものとしてちりばめられおれり。”
調和した音楽にはホンモノの音調はあるが
ニセモノ
の音調というものはない。
ただ雑音があるだけであって
そのようなものは調和ではないのである。
否定することは何ら為になるものではない。
ニセモノを
否定することはそれを認めることになり、
本来ありもしない実在性を与えてしまうことになる。
しかしそのような
ニセモノが
いかにして起こったかを知りつくしてしまえば、
そのニセモノ
たる所以(ゆえん)がわかり、
人はその時初めて
ニセモノが、
実在の中には
本来存在しないところの
我によって
造り出されたものであることを悟るであろう。
ニセモノが
我の中以外には存在しないことを
悟ったとき始めて
調和なる実相は顕現するのである。
ニセモノは
我にしがみつこうとする。
なぜなら我はニセモノが手に入れうる
唯一の存在だからである。
そこから迷いが発生するのである。
(解脱の真理より)
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