自我がはいってくるのに七つの扉がある。そこからわれわれが自我を身につける七つのドアだ。

それらの扉を理解する必要がある。なぜならば,もしそれらを理解すれば。あなたは自我を落とすことができるだろうからだ、というのも、それが完全によく理解されたならば、それらの扉は閉ざされ得るからだ。

そしたら,自我はもうつくられない。

自我というのはただの影にすぎないと正しく見設かれたとき,それはひとりでに消え失せはじめる。


最初の扉をアルポートは“肉体的自己”と呼ぶ。われわれは自己という感覚を持って生まれはしない。母親の子宮の中にいる子供に自己という感覚はない 。

彼は母親とひとつだ
彼はまったく母親とひとつだ
つながっている
橋渡しされている
そして,
母親こそが彼の全存在なのだ
彼の宇宙なのだ




彼は自分が別々だということを知りはしない。分離はその子供が子宮から出てくるとき、彼の母親との橋が絶たれて、その子供が自分で息をしなければならなくなるときにやって来る。実際のところ、呼吸というのは, 何かその子がやるつもりになっていることじゃ ない

どうしてそれができるのか?彼はまだ息をすることさえできない。つまり,彼はまだそこにはいないのだ。

呼吸は起こる

それはその子供がそれをやっているというのじゃない。それはひとつのハプニングなのだ。それは《無》から出てくる。

その子供は呼吸しはじめる
その数秒間はとてもとても貴重だ
重大だ
危険だ

両親,お医者さん,看護婦さんたち 、お産の世話をしている人たちはみな手に汗を握って待っている。

その子が息をするかどうか?
その子は強制されるわけにもいかない
その子は説得されるわけにもいかない

そして,その子は自分では何ひとつできるわけじゃない。もしそれが起こるとすればそれは起こるだろう。

それは起こらないかもしれない。
それは起こるかもしれない。
ときには子供たちはけっして息をしない。
そうしたとき,
われわれはそれを死産だと見なす。


子供は最初のひと息をどうやって呼吸するのか?

それは奇跡的だ。彼はそれまで一度もそんなことをしたことがない。彼はその用意をできるわけでもない。彼は呼吸するメカニズムが存在することも知りゃしない。肺はそれまで一度も機能したことがない

だが,呼吸はやって来て
その奇跡がはじまる
しかし,
その呼吸は《無》からやって来ているのだ

覚えておきなさい
後になるとあなたは
「自分が呼吸しているのだ」と言いはじめるだろう

それは馬鹿げている
あなたが呼吸しているんじゃない!
呼吸が起こっているのだ

「自分」という観念をつくり出さないこと

「自分が息をしているんだ」などと言わないこと

誰も呼吸してなんかいない
それをやるかどうかというのは。あなたの力の及ぶ範囲じゃない
試してみてもいい。数秒間息を止めてごらん。そうしたら,止めるというのも難しいということがわかるだろう何秒もたたないうちに、どこからともなく大変な波が押し寄せて。あなたはふたたび息をしはじめる。

あるいはまた,外側から息をさせないようにしてもいい。何秒間かやってごらん 。すると突然、大きな衝動が襲ってくる。それはあなたを越えたものだ。

呼吸がはいって来たがっている
あなたの中で、
息をしているのは《無》なのだ
あるいはそれを神と呼んでもいい
どう呼ばれようと変わりはない
それは同じものだ
無か神か一一
その二つは同じものを意味する


仏教において《無》というのは、キリスト教やユダヤ教やヒンドゥー教で《神》というのとまさしく同じものを意味する


神はひとつの無なのだ 。われわれは《自己》という感覚を持って生まれてきはしない。われはわれわれの遺伝学的資産の一部じゃない。

赤ん坊というのは自己とそのまわりの世界を区別できない。その子供が息をしはじめてからでも、彼が,自分の内側と外側との聞にはひとつの区別があるのだということに気づくまでには何か月もかかる。

だんだんと増加する一方の複雑な学習や知覚経験を通じて 、“自分の中”の何かと、“外にある”ものとのおぼろげな区別ができてゆく。




これが自我のはいって来る最初の扉だ
“自分の中”に何かがあるという区別一一ー
たとえばその子供が空腹を感じる、それは内側からやって来るように感じられる。そうして,今度はお母さんがその子を叩く。すると,それは外側からやって来るように感じられる。

さあ,いやでもだんだんとひとつの区別が感じられるようになる。そこには,内側からやって来る物事と外側からやって来る物事がある

母親が微笑むとき
彼にはそれがむこうからやって来るように感じられる。そうして,彼はそれに応える。

彼は微笑む
今度はその微笑みは内の方から、どこか内側からやって来るように感じられる。内側と外側という観念が起こってくる、これが自我の最初の経験だ。

実際には、外側と内側との聞には何の区別もありはしない。内側は外側の一部分であり、外側は内側の一部分なのだ。あなたの家の内側の空と、あなたの家の外側の空は二つの違う空じゃない

覚えておきなさい
それらはひとつの空なのだ
そしてその同じことがあてはまるのが…・
そとにいるあなたとここにいる私一一
それは二つのものじゃない!
われわれは同じエネルギーの二つの側面なのだ
同じコインの裏表な?だ
けれども,子供は自我の流儀を覚えはじめてしまう


(ラジニーシ・般若心経より)

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