二番目の扉は自己同化(self-identity)だ
子供は自分の名前を覚え
鏡に映っている姿は
きのう見たのと
同ーの人物だということを了解し
自分とか自己という感覚が
変転する経験の諸相の中にあって
がんとして動かないものであることを信じ込む
子供はあらゆるものが
変化するということを知ってゆく
あるとき彼は空腹であり
あるときは空腹じゃない
あるとき彼は眠いし
あるときはパッチリと目が覚めている
そして,
あるとき彼は腹を立てているし
あるときは愛にあふれでいる
物事は変わり続けてゆく
ある日,
それは素敵な一日であり
また別な日,
それは暗い陰気な一日だ
だが彼が鏡の前に立つと…-
赤ん坊が競の前に立っているのを
見たこと
観察したことがあるだろうか
彼は鏡の内側の子供をつかまえようとする
その子が
“外側のあそこ”にいると思うからだ
もしそれが
つかまえられないとなると
今度はぐるりとまわって鏡の裏側をのぞいて見る
もしかするとあの子は
そこに隠れているのかな?一一
だんだんと彼は
そこに映っているのは
自分だということを知りはじめる
そうするうちに,
彼は一種の継続性を感じはじめる
昨日もそれは同じ顔だった
子供たちがはじめて鏡を見るとき
彼らはそれに夢中になるものだ
彼らはそこから離れようとしない
何度でも何度でも洗面所に
“あの子たちは誰なのか”
を見に行く
あらゆるものが変化し続ける
その中でひとつ
不変に見えるものがある
自己イメージだ
自我がもう一つ別な扉から忍び込んでくる
自己イメージ
《ラジニーシ・般若心経より》