五番目の扉は自己イメージだ
これは、両親との相互作用を通じてその子供が自分自身をどうとらえるかということを指している。
賞賛と軽蔑を通して
良かれ悪しかれ
その子供は
彼自身について
ある一定のイメージを持つようになる
子供はつねに両親が
自分に対して
どのように反応するかを見守っいる
もし彼が
あることをやっているとすると
それを彼らが賞讃するか
あるいは彼に罰を与えるか?
もし罰せられたと感ずると
彼は
「自分は何か間違ったことをやったんだ
自分は悪いんだ」と思う
もし何か良いことをやって賞められると
彼は
「ぼくは良い子なんだ
株が上がっているんだ」と思う
彼は自分が
認めてもらえるように
もっともっと
良いことをしようとしはじめる
あるいはまた
もしその両親が
本当にとても厄介な
お話にならないような人たちで、
彼らの要求がとうてい
その子の満たせるようなものじゃないとすると
そのときには,彼は
みんなが悪いと言うようなことを全部やりはじめる
彼は反抗して謀叛を起こす
道は二つある
扉は同じだ
その子を賞めて
彼が自分は
“特別な誰か(somebody)”だと感じるか
あるいはまた,
もしそう簡単に賞めなければ
今度は彼氏は
「いいさ
それなら目にもの見せてやる」と言う
そのときにもまた
彼が自分の存在を
感じさせようとするのは同じだ
彼はものを破壊しはじめるだろう
彼はタパコを吸いはじめるだろう
彼はあなた方の
好まないような
物事をやりはじめるだろう
そして彼はこう言う
「さあわかったか?
あんた方はぼくに
注意を払わなくちゃいけないんだ
ぼくを認めなくちゃいけないんだ
ぼくが“特別な誰か”で、あって
ぼくはここにいるんだ
ということを知らなくちゃいけないんだ
まるでぼくを
無視することなんてことはさせないぞ」
良い子と悪い子というのはこうして生まれる
聖人と罪人
(ラジニーシ・般若心経より)