同じ教え:望みの実現についてヒマラヤ聖者の場合

古代からの先人たちの教えは同じ教え、その教えを整理し自分の鍵となるものをピックアップしてみよう。


(ヒマラヤ聖者生活と探求より)

「望みというものは、それを言い現しさえすればすぐに満たせるものでしょうか」と訊ねた。

「正しい形をとって表現すれば叶えられるものです」というのであった。


更に言葉を続けて、
望みというものは祈りの一形式であって、イエスの祈りは聞かれたからイエスの用いた祈りこそ本当の祈りであり、何時も聞かれる祈りこそ真の祈りでなければなりません。



従って又、
科学的でなければならない。
科学的である以上、
一定の法則に従うものでなければなりません」



その法則というのは、
『汝の悟れる程度に、汝の祈りは叶えられたり』であり、『又、汝、何を望むとも、そを祈るに、既に受けたりと知れ、然らばそを得ん』である。


もし私たちが何なりとも求めたものは、すでに私たちのものとなっていると積極的に知るならば、私たちは法則に従っていると知るがよい。 


同じようにバシャールの場合はこのように語ってます。完全に『自分自身である』ようにして、目覚めて、得られる結果『今、ここに完全にいて、毎瞬毎瞬を完全に生きる』という事。全ての欲しいものが既にあなたの現実にあるという事が突然、分かります。

『必要なものは全て既に持っている』事を知り、高い波動でいると、教示的な具現化が進み、現実に反映されていきます。自分自身を完全に知るという事は、自分の『思考』が欲しがる物事は、全部もう既に自分の中にあると気付く事です。




もしも望みが満たされれば、
法則が満たされたのであると知るがよい。

もし満たされなければ、
求めた側に誤りがあったと悟らなければならないのである。

謬地は我々にあるのであって、
神にあるのではないと知るべきです。



従って結論は、
『汝、心をつくし、魂をつくし、力をつくして、主なる汝の神を愛すべし』となる。


故に、心配、不安、不信を以てではなく、自分の必要なものはすでに自分のものとなっていると知り、歓び、晴れ晴れとした感謝の心を以て、己自らの魂深く沈潜することです。 (マラヤ聖者の生活と探求より)



結論についてバシャールの場合は
ひとつの完全な自分でいること。自分を部分の集積ととらえない。「誰もが自分の望む現実を、誰も傷つけることなくつくりだせる力を持っている」と知ること。

「すべては本来ひとつのもの、自分のもうひとつの表現、反映。
だから、目標も自分と分離したものではない。自分は目標そのもの、自分はすでにそうである」と知ると語る。



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