「根源者」とつながっている状態を「ミル・カンジル・ナル」
何もなく無限の広がりだったホアの中に、どんどんオモミが出来てくる。ただただ現象として起こっている。
それは蜜のような濃密度になって重くなり、ホアから下に下にとウズを描きながら下がっていってカガミになる。
それが生命の花になる。顕象界ではその重みは”ホアの喜び・・etc”だと解釈できるが、潜象界であるホアのところでは、そのオモミはそれそのものだけがただ在るだけで、ホアという存在そのもの。
「イヨッドー宇宙管ー生命の華」のラインとは、ホアからオモミが降りてくるということだけがなされたもの。そのような現象だけが起こっている。
在ることそのものだけがあり、
ただただ仕組みだけがそこに出来ている。
ホア(という広がり)と同じものが、ホアの中に発生したオモミで下がることによって、それを写すカガミ(生命の華)だけが出来た。オモミがカガミとなってウツされ、それが次々に繰り返されている。
それ以外のルートはない。
「在る」ということの解釈や意味は、現象界にて初めて感情的に理解されている。現象界からホアの「在る」を捉えたときに初めて、「美・調和・歓喜・豊穣・希望・幸福・・」の総体という解釈が、体験によって生まれている。
「ホアとの直結感だけがアル」というスミキリ状態からの、日常的な「手を伸ばしてコップを取る」という行為は、それ自体がとてつもなく荘厳で壮大な行為となる。
その動きと行為は、
ホアのユメ・オモイを100%形にしたものとなる。