バグアン・シュリ・ラジニーシ色即是空を語るより。
“瞑想”とは“集中”じゃない“集中'”の中には集中しているひとつの自己がありそして集中されるひとつの対象がある。そこには二元対立がある 。
瞑想の中には内側に誰もいなければ外側にも誰もいない。それは集中じゃない。そこに内と外という区別は何もない内は外へと流れ込み外は内へと流れ込み続けるその仕切り,その境界線その国境はもう存在しない。
瞑想は疲れを呼びはしない、瞑想はあなたを消耗させはしない。瞑想は24時間,年中無休のものになり得る。 集中というのはけっしてあなたの本性にはなり得ない
。
瞑想とは意識しない状態無為の状態だそれはくつろぎだ 。
瞑想、の中にはその背後に何の結論もない、あなたは特別何をどやっているわけでもない、あなたはただ在るのだ。
純粋な無規律,無碍自在のその状態こそ瞑想の何たるかなのだ
瞑想は《現在》
純粋な《現在》の中にある
瞑想は即時だ
瞑想することなどできるものじゃない
集中の中にはいられない
だが、あなたが集中することならできる
“集中”は人間的なもの
“瞑想”は神々しい。
瞑想の人というのは力を持ちはしない
彼は静かになる
彼は平和になる
力というのは闘争から生まれるものだ
あらゆる力は摩擦から出てくる。
瞑想は平和をもたらす
平和にはそれなりの力がある。
集中はあなたを“意識の人”にするだろう
瞑想はあなたをひとつの《空》にするだろう。
瞑想が在るためには
心が消えなければならない
集中というのは心の努力だ
瞑想というのはひとつの無心状態を言う
瞑想とは純粋な覚醒だ
瞑想はその中に何の動機も持たない
瞑想とは極なしに生えてくる樹だ
それが瞑想の奇跡なのだ
その魔術
その神秘一一
もし何かのために瞑想しているとしたら、そのときにはあなたは依然として世間にいるのだ。あなたの心はまだ安っぽい物事、取るに足らない物事に興味がある。
瞑想は何の目的地も持たないもの。瞑想とは、一切の目的地が虚構だというひとつの洞察にほかならない。瞑想とは、さまざまな欲望がどこにも導いてはくれないという、ひとつの理解なのだ。
あるひとつの状態の事実性を見ることこそ瞑想なのだ。
瞑想の中では、あなたはひとつの中心から機能したりはしない。あなたは《無》から作動する。