反応しない
無駄な反応しないことが悩みの根本的な解消になる。
反応は思考が思考つまり過去の体験に反応し思考を生み出しているにすぎない


無駄な思考反応しないようにするには

1つ目は反応する心を知る

2つ目は善悪の価値判断しない

大きく分けてこの二つの方法 があります。


まずはじめに
「悩み=都合の正体」を知ることが優先事項です。


あなたが一つの欲求を持つとき、あなたはいつも自分の都合から反応する。

たとえば、あなたが自分のことをとてもとても優しくて仕事ができる人だと思っていて、そこへ部下から相談事が起こったとしよう。

そこへ部下がイラッとするような話を持ちかける
さあ,あなたはこの部下の話にどのように 反応するだろうか?


もし自分のことを優しくてできる人だと思っているとしたら、
あなたはどう反応し都合をつけるだろうか?


どうしたらいいにのか?
周りの人に承認されている、優しくて仕事のできる人の詮索がはじまることだろう。


さあ大変だ
認めてもらわなくちゃいけないので
ここはひとまず「優しい笑顔」かな

次から次へと反応の心が
語りかけてくる。


このような反応は
生存欲から生まれた「安全への欲求」が生じることとなり、そして、自分が安全であることをある程度感じることができるようになると、

次には
「自己承認の欲求」他の人から自分はできる人だと見なされることを欲求するように、次から次へと反応を繰り替えします。


相手も自分を認めてほしい、愛して欲しい、評価してほしい、などの承認欲求を持っているので、お互いに周りは期待に応えてくれない人間ばかりで不満の共鳴は増すばかり。


反応の構造は、
起こったこと、それを見てから《これをどうしょう》と心は考えてしまうことだ。だが起こったことへの反応「求め続けるもの」から逃げずにそれを『見て」向きあってみる。

 すると、しばらく向き合って『見ている』と、ひとつの「マ」に引き込まれ、心は求め続けるものを理解することがやって来て、均衡化される不思議な心の変化が訪れる。

ただ
『見ること』だけで、
価値判断せず
分析せず
変わるための努力もぜず

ただ
『見ること』で
場の均衡化がなされ喜びに変わってしまうもの。


すると
『自分をどうしょうという気持ち』が
自然と落ちてしまい、これが私の《真実だ》と知り、歓喜がやってきて、葛藤などない本来の姿に導かれることとなる。



心が反応すると

それは過去から作動する

見ることは現在から作動する

それは現在への純粋な感応なのだ

それは反応ではない。


感応とは辞書には、
仏語。人に対する仏の働きかけと、それを受け止める人の心。また、信心が神仏に通じること。 と書いてある。





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