ワークのなかで、互いに自らの手を取らせ「ムスビ力」を、身体を通して実感させる。普通誰かの手首を握ると、掴んだ相手は、掴んだことに対して身体は反応し体を緊張させ身構え固めてしまう。
その反応によって、相手の身体の存在を感じることができるのだが、全体を知るものの手首を掴んてもそのような反応は返ってこないのが正解。そのため、腕を掴んでどうにかしようとしている感じだけが残り、全体以外なにも存在していないという感覚なのである。
「むすぶ」天地をムスブ、
相手をムスブ、
相手と繋がり一つとなる、
敵愾心を無くす
などという非常に具体性にかける言葉だけが、導において使われていくのだが、このような精神的たとえは一歩間違えば全く使えない技となりがちだ。
例えば、相手がこちらの胸を捕まえに来た時、その捕まえようとする手をこちらが身体を半分引きよけるのだが。その場合にその腕を「通してやって」とか「相手の動きたいように動かして」という声をかける。
上手くよけられた場合、相手の重心が崩され姿勢が不安定なるのだが、だがこれは「よけたり」するのではなく、よけていたのでは目的「ムスビ力」から外れてしまうので「腕を通してあげる」「腕に通っていただく」というようなコトバで方向性を作ってムスビアウワしていくのだ。