あなたは雲の向こうの青い空を見ているだが何も起こらない。
するとあなたはきっと言う、「シバァの言い方は、非合理的、非論理的だ。単に、心に浮かんだまま話しているだけだ。一体どういう技法だろう、雲の向こうの青い空にただ見ることによって、静寂が…人が静寂になるんだって!
だがもし「死、意味、学習」を思い出したら、
この技法はたちまちあなたを内側へと向けるだろう。
雲の向こうの青い空にただ見る。
ただ見る。
考えるのではない。
空は無限だ終わりがない。
ただそれで見る。
そこには対象がない、
だからこそ空が選ばれたのだ。
それは対象ではない。
言語学的に言えば対象だが、
実存的に言えば対象ではない。
対象には元と終わりがある。
対象ならその周囲をめぐることもできる。
だから空の周りは回れない。
あなたは空の中にいるのであって、
空の周りは巡ることができない。
だからあなたは空にとって
対象であるかもしれないが、
空はあなたの対象ではない。
空に見入ることはできるが、
空を見ることはできない。
そして「空に見入ること」は
どこまでも続く、
決して終わりがない。
だから青い空に見入るのだ。
どこまでも見入る。
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空は無限だ、
境界線は無い。
それについて考えてはいけない。
「美しい空だ」
などと言ったり、
「なんてきれいなんだろう!」
などと言ったりしない。
その色を鑑賞したり、
思考を開始したりしない。
思考を開始したら、
あなたはもう停止している。
もはやあなたの目は青空に、
無限の青空に向かっていない。
ただひたすら見つめるのだ。
考えたり、
言葉を作り出したりしない。
言葉は障害になる。
「青い空」
と言う言葉さえ発してはいけない。
言語化はしない。
必要なのは青い空への純粋無垢な眼差しだ。
それは決して終わらない。
それをどこまでも、
どこまでも、
どこまでも続け、
そして突然自分自身に気づく。
なぜならそこに
対象はなく、
ただの虚空しかないからだ。
虚空に向かうと
感覚は無用なものになる。
感覚が役立つのは
対象があるときだけだ。
(ラジニーシ)