ヒトは見る側にいる、
見るものは自由そのものだ。
私は見るものと
自由と自在いう三つの言葉を
よく活用している。
見るもの
自由
自在
どれも同じ意味で使っている。
見るものは自由であり、
自在だ
自由は見るもの。
自由と自在が少なくなればなるほど、
見られるものとなり
束縛は日増しに増し
不自由となりいく。
だが、
自由が増せば増すほど、
自在となり
存在感は高まる。
物質には動く自由がないし
自在に変化できない。
物質を終えば追うほどに
することを追うほどに
束縛は増え
見られる側で生きる。
故に自由になれば、
あなたはもっと見るものとなる。
見るものとなると
もっと自由となる。
見るものは自由であり
見られ側は不自由なのだ。