真実は、
ただ沈黙の内でのみ伝えられ得る。
だがこれは逆説だ。
真理は沈黙の内でしか伝えられないと
強く言ってきた人たちは、
すべて言葉を使ってきている。
これはおかしいことだね。
しかしどうすることもできない。
あなたを沈黙させるためには
言葉を使わなければならない。
私の話を聞いている間は
あなた方は静かに沈黙している。
その沈黙は意義ぶかいものだ。
その沈黙は
あなた方に真理を垣間見させてくれる。
たとえ私の言葉を通して
真理を一見したとしても
その一見は
あなた方自身の沈黙から来ている。
私の言葉から来ているわけではない。
たとえあなた方が、
私の言っている事は何であれ
全く真実であると強く確信するとしても、
その強い確信を感じる感覚は、
あなた方自身の沈黙から来ている。
私の言葉からきているのではない。
あなたが静かに沈黙しているときには
そこに必ず真実がある。
あなたが内側でおしゃべりしている間は
内側で続けられる猿喋りがある間は
常にそこにある真実をあなた方は見落とす。
私がする事は何であれ
それがあなた方に語りかけることである
それはあなたが私と共に瞑想をするのを助け
あなたはカタルシス(浄化)の中に押したり
あるいはあなたが踊り祝うよう説得するものだ
私が何をしようとも、目的はただ1つしかない。
何とかしてあなた方を沈黙するよう助けること。
なぜなら沈黙しているときには、
必ず扉が開かれ
あなたは寺院の内にあるからだ。
いかにして沈黙するようになるかは
どうでも良い。
あなたは沈黙する、
静かになる。
と、そのときには私はあなたの内にある
あなたは私の内にある
沈黙は境界線を知らない
沈黙の静けさの中で
愛が起こっていく。
私はあなたにとって
1人の恋人となった
あなたは私にとって
1人の恋人となった
沈黙の静けさの中で
意義深いことすべてが起こっていく。
ふたりの人間の間に愛が起こり
愛が流れるとき
そこにあるののはふたつの〈無〉であり
ふたりの人間じゃない
もしあなたに何らかの愛の経験がありさえすれば
それは理解できるだろう
(バグワン・シュリ・ラジニーシ)